あまり考えてしまうと思考の固定化により
考え込むループに入るから、イヤなんだ。
結局、まだ続いているよ
職場の騒音問題
住人の女子児童が友達1名呼んで、外で遊ばず
2F室内で、はしゃぐ。
おそらく同室内にいる2F住人は相変わらず注意せず。
人数が分かった理由は、自転車を停める音が2台だったため。
で、お客さんからやんわりとした苦情あり。
『 足音、すごいね 』
って。
返答として
『 これでも、児童2名なんすよ 』
何だ、この返事。
音に馴れたのか??
いや、すげぇムカついてるねぇ。
今回は、データ溜めずに、週明けたら
不動産会社に伝えます。我慢しません。
ちょっと違う目線で見てみる。
個人的に、何かしらの厄介事に巻きこれることは
これまでも、それなりにある。
その都度、どういう形かで収まる。
以前も書いたように、そのきっかけを作った人は報いを受ける。
今回も、それを見せつけられるのは理解している。
というか、ワタシに対しての "何この試練" みたいな展開な数年。
職場代表者が倒れ、いろんな不始末が表に出て、後始末して
自分の居場所作り、しばらくしたら、騒音。
しかも、子供達には悪気がない。
(例の感染症は、世界規模なので、個人問題とは違うかな)
日々生活することに飽きさせないため
何か問題用意してあんのか?くらい、何かある。
ただでさえ"生きづらさ"が、高濃度でまとわりついているのに
妙な問題は、そろそろ放っておいてほしい。
そりゃね、いろんな問題と対峙して、どうにか対応していったら
人としての厚みというか慌てずどっしり構えられるとか
他の似た問題で困っている方に
『こういう対策もあるですよ』 (´・ω・`) アルデス
って話ができる。
でもね、苦労話ばかりでなくて、明るい話題とか
楽しめる展開って見えてこないものかな?
・・・こういうのも、自分で引き寄せろって言われんのかな。
多少、会話されるお客さんにはね
「ふひっ」
って、軽く脱力してもらえるような笑わせを試してはいるのよ。
コチラも、余計な力がいらなくなるからね。
他がやってない方向性とか、ずっと模索してんだけど
勧められた内容が、専門性が高すぎて、毛嫌いする手法もあって
違和感が溢れすぎてたんだよ。
一つの手段として、"笑う脱力" があってもいいよね。
変な問題に注目しすぎて、どのお客さんにも説明したとすれば
『ただ、愚痴言ってるだけでは?』ってなっちゃう。
ワタシはね、ただ静かに過ごしたいだけなんだ。