HSP搭載 そよ風エンジン

HSPなワタシがいろいろ叫んでみます

思考が斜め

普段通る道が混雑したり
あまり通らない道で接触事故が起きていると

『あぁ、年末なんだな』

と感じております。


その昔はね、正月ってお店休みだったので
食材をそれなりに買い込む必要があったんだけど
今時はスーパーですら、二日には営業開始しているので
どうにかなるもんだったりする。

こんな風になるとは思わなかったなぁ。
こういうのも年々もっと変わるんだろうな。

でも、日本の伝統や風習は変わってほしくない。
『~に配慮して』という何かの団体に気を使って
いろんなこと辞めるのも過剰過ぎて
実態がよく分からない所の意見を丸々尊重するのは
そろそろ止めていいんじゃないのかな。

あれこれ配慮が、そのうち規制という表現になって
テレビだけじゃなくて、動画やブログですら
自分の言葉を載せられなくなったりしないもんですかね。

そんな世の中に仮になったとしたら
暗号文や集会する特定の場所に行って
同志とやり取りすることになるんでしょう。

メタバースが実現しても、言葉狩りのため
見張られてるんだろうから
上辺の会話で薄っぺらい内容になっちゃう。


あぁ、考え過ぎだw

味覚

休みの日の気分転換や楽しみとして、昼食をお店で食べる。
大体、お昼の時間をかなり過ぎてからじゃないと行けないんだけど
ものすごくインドア派でもあるので
お外に出ないと良くないだろう、と。

で、一人で食べるんだが、なんともうまくない。
古びたお店で食べた味噌ラーメンは、おお!と
驚くうまさだったが、それにも慣れてしまう。

というより、ここ数年、何食べても
実は味がよく分かってないのかもしれない。

味覚障害?と思って亜鉛サプリは取るようにしてるが
処理がヘタな肉だと臭みを感じるし
もう少し塩コショウして欲しいな、とかは分かる。
甘味とかうまみのようなものは、感じ取れてる。


ん~、気分的なものか?精神的と言った方がいいのか
その辺が原因かな。
ただ、その行動をしているだけ。

環境のせいにしてしまえば、なんでも解決するのか?

違うだろうな。

これまた考えすぎになってしまうんだけど
このご時世でも楽しむことがないと
なんとなく生かされてる日々になっている。

ここ数ヶ月、文章で物語を書いているが
没頭するほど、のめり込んではいない。
でも、設定や展開を考える下準備作業は
面白いと思える。
これは、ずいぶん久しぶりな感覚。


どこで読んだか忘れたけど

『日々、アクセルとブレーキを同時に踏んで、ちょっと前進』

くらいの慎重さであったり、用心深さらしいと表現されたので
何かに没頭するようにリミッター外したら
また何か食べて、うめぇ!と言えるようになるのかな。

思い出

酔った勢いとか、染みる音楽聴いてさ
グーグルマップで昔住んでた場所を思い返すことが
ちょいちょいあるんだけど、写真が更新されててさ
また、道と建物が、ごっそりと変わってて
区画整理や再開発で、いろんなモノが無くなってた。

懐古趣味があるワタシとしては
脳をエグられた感しかない。

思い出補正とか微々たるもんだと思っていたが
ダメージは大きい。
青臭い記憶の場所の大半が変貌していた。


ま、プラスに取るならさ
ア゛ーと頭抱えるフラッシュバックの場所が
現実には無くなってて、知る人も今どこにいるか
分からないから、フラッシュバックすら
消えてくれるなら、致し方ないと思うべきだろう。

バイバイって言って
ネガティブで繰り返される記憶も停止ですよ。


また行きたいと思っていて、長い時間経ったけど
その場所に行ってたら、泣いちゃうかもね。
変わりすぎて、何も無いんだもの。

多種多様

この時期になると、youtubeアカウントに占いや運勢のオススメが
どっと増える。
たまに見た結果が、反映されてんだけど、占い自体、話を聞くのは面白い。

ただ、やっぱり決めつけてない?と思える人は、避ける。

相当前に、転職に迷ってた時、占いのお店に行って

『あなたはこうだから、こういう結果になる』

と、統計上の話をされ、対面なんだから個人の具体的な特徴・組み合わせから
何か意見はないの?と疑問を持ったことがあった。

また、この手の結果の話をすると

『そんなの信じるの?』

と言う人が多い。

テレビで、スピ系な話とか血液型診断を信用するくせに
個人の話って、けなしてくれるよね。

テレビの言うことは、絶対的信用度なんだよな。
血液型って4種類で、人は4パターンしかないのか?って考えない模様。


職場ブログでさ、気の話やスピ系寄りの内容を書くと
アクセス数が、どわっと増える。
興味ある人は多いけど、変な目で見られることも多々あるんだろうと思う。

多様性を認めろってワイワイ言ってるけど
目に見えない話も、どう説明していいか分からないだけで
体験談って、案外聞くもんでして、この辺も多様が存在して
いい話だろうし、だからといって認めろ~って押し付けることでもない。


日本って昔からあるじゃん。
陰陽道だったり、モノノケもそうでしょ?

自由にさせてよ。

来客対応

『いや~どうも~』

って電話で予約してくるお客さん。
今回は、8月末にワタシが、ケガさせた方。

ものすごく身構えつつ、他のお客さん同様応対する。
開始して、そう時間経たずに寝られ、規定時間を終わる。

その後の状況だったり、そういう会話はもちろんするが

『やっぱり、アンタに頼まないとさ~』

といった感じのことを言われ、褒められてはもらえるのだが
そもそもが褒められなれてないし、誉め言葉を信じられないので
ただ頭を下げるばかり。

元々の来店間隔が3ヶ月以上空く方だけど
2度と来店されぬと思っていたので
よくおいで頂いたなと思った。

普通来ないよ、痛めさせられた店じゃん。
もちろん、こちらは、わざとやったわけではないけど
なんか行きにくいでしょ。
それでも、来店されるってのが、こちらとしては
今できる精一杯の施術をして、深々と頭を下げるしかなくてさ。

で、颯爽と帰られた。


以前も書いたけどさ、職種自体も変えないといけないのかなって
それくらいの覚悟をしたし、また来店されることはないと思ってたので
少しは技術面での信用をしてもらえてたということなんだよな。


お客さんからの誉め言葉を信じられないってのはさ
『あんた、すげー』と言った人ほど、2度目の来店がないことを
たくさん経験しているので。
ただでさえ、社交辞令が判断しにくいから褒める言葉は
持ち上げて落とす手段だと身構えてしまうんだよ。


いろいろと申し訳ないです。

最近思ったこと

SNSを含めたインターネット投稿に、少なからず反応があることに
今更ながら、驚いている。


最近始めた別の投稿サイトに、3作目の物語を書いて投稿しており
1日数万件以上の作品が掲載されるところに
数件であっても、見知らぬ誰かが読んだってことに驚く。
埋もれるのが当然で気付かれもしないだろうにさ。
まだ、そこではHSPや夢関連のことは書いてないんだけど
エッセイとして書けそうな内容がまとまったら検討する。


職場ブログだと、気功(エネルギー)や不思議体験のような
見えない世界のことを書くとアクセス数がかなり増える。
臨時休業のような連絡事項だと読まれない。
そして『最近、自粛でお客さん減っちゃって』のような内容だと
情報商材の業者と営業電話が増える。弱みを見せると集まるけど
むしろ、どのくらい業者が見るのかな?と実験してみたこともある。


本当はね、直に会話するのがいいんだけど
このご時世それができなくて、ネットという世界が主になりそう。
一昔前ってさ、ネットにハマっているとマニアックというより
気味悪がられた人って多いと思うんだけど
スマホが当たり前になっていると、現実世界とネットのデジタル世界って
住み分けがなくなってるように思う。

映画のように、体の一部にカチッと差し込んで、脳がネットとつながっている
そういうのも当たり前になるのだろう。

自分はさ、ひねくれてるから
ネットに作品投稿した内容が、あえてカタカナ横文字を極力減らした文面にして
日本語の響きとか表現・言い回しを使ってみた。

どうやってもね、ネットを利用する生活になって
誰でも批評・評論家になりうる状況なので
また、アナログの良さも見出したいなって思うようになっている。


どちらかに偏らず、中庸さを見失わないように。

遠慮じゃなくて

いろんなスポーツ競技で、ワーッて応援したり
勝利して、観客が路上でもワイワイやってる光景が
テレビで映るんだけど、自分にそれ出来るかな?って思ってしまう。

応援は、問題ない。
けど、路上で イェーィ が多分出来ない。

年齢的なものもあるのでしょうが
周りの迷惑とか、自分を客観視して
すごく抑えるので、おそらく『あ、どうも~』くらい。

なので、音楽イベントやライブは、圧倒されて棒立ちになるだろう。

仮に、自分を開放して、キャーッって騒いだら
体力的に5分持たない自信がある。
もちろん、喉も即ガラガラ声になるだろう。

以前、飲みの二次会カラオケで
飛び跳ねたり、踊って自己表現する集団と一緒になったことがあり
酒の勢いで、それをマネして飛び跳ねたら

『まるまさん、はしゃいでましたね』

と冷ややかに言われ、慣れぬことをするもんじゃないと
身に染みたことがあったのです。



まぁ、出来ないものを無理してやることはないんだけど
なんでサッカーだけ、路上でコールするんでしょうね?
海外ファンがやるから、日本でもOKな感じ?


マイナー競技でもノッてあげたらいいのに。