あのね、外を歩いたり自転車で移動している人が
周りを気にせず、大声で歌っているのを
自宅で聞こえてくると、こちらがものすごく恥ずかしく感じる。
その熱唱中、他人とばったり出くわした時
歌い続けられるのだろうか?とか余計なことまで考えてしまう。
単純に、人前で歌うことに抵抗があったり
苦手意識を持っているからかもしれないが
中学生の集団が歌いながら下校しているのも
今だに、『なんだ、そのノリ』とか思う。
自分が歌うのが苦手なのは、小さい頃に歌い方を知らないのに
授業で「うまく歌え、何故出来ないんだ!」と
罵られた辺りから、歌っちゃいけないのだろうと思っていた。
ま、それなりに年重ねて、カラオケ行ったりして
多少歌ったりするが、今度は、自分が声出すと
音が反響して(ハウリングが起きて)、うんざりする。
マイクを被せるように持ってはいなくて、大声でもないんだけどね。
低い声ではあるけども・・・。
こういう感覚もHSP関連で書いてあったな~、共感性羞恥って。
自分は見ている側なのに、自分が体験しているかのように感じて
ものすごく恥ずかしくなったり、苦しくなったり。
的外れなことや知ったかぶりといった言動を
ドヤ顔で続けられると、その場から立ち去りたくなる。
同じ種類って思われたくないというのもある。
今でこそ、共感性羞恥が起きていても
本やネットの解説・体験談から、どうにか対応している。
『あれは、よそ様の話』
『自分と関わりがない』
『過去のこと。今、起きてな~い』
自分との境界線があるように思い、他の出来事とし
また、何でも拾って、植え付けないように
実際に、腕や肩を払ったり、叩いたり
恥ずかしく思う想像・妄想から現実に意識を戻す。
こういうのがあるとさ、自分の感覚で起きていることなのに
客観的に見ている自分がいて
『うわ~、他人が起きていることに、過剰反応して
自分の体は誰のものなんだよ』
と、人格とまではいかない複数意識が存在して
余計に疲労する。
ややこしいねぇ。